2009.11.15 Sunday
亥子餅について
11月9日開催された能勢妙見山ハイキング会「妙見ハイク」の食後の集いで、豊能町郷土史研究会会員 栩野勝也氏が講演された資料によると次のように説明されています。
・「いのこ」は、秋の収穫を終え、山に帰られる田の神さんに対する行事 ・「いのこ祝い」は、豊能町しかない亥子の行事で、昔から宮中で健康を祝っての「いのこ祝い」の行事で、木代村・切畑村(現豊能町)の人達が, 「亥子餅」宮中に献上し、その餅を宮中で食していたことに由来し、1,600年程前、応神天皇の時代から明治2年(1869)まで継続されていました。 ・調製は、餅米を蒸し、別に煮た小豆と合わせて大きな桶に入れ、2本のの棒でこねて、つくと淡紅色の餅(猪の肉)が出来ます。これを折箱に詰め、その上に小豆の餡を敷き(猪の皮)方形に切った栗の実6個を並べ(猪の骨)その上に熊笹2枚をのせる(猪の牙)。つまり、猪にちなんだ餅のことを「亥子餅」と呼ぶそうです。 ・この「亥子餅」は、応神天皇が猪のおかげで難を逃れた古事により、毎年10月亥の日に能勢より宮中に献上されていたとされていました。 |